130.01

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【分野】スピンエレクトロニクス

【タイトル】バリスティック伝導極限におけるスピン蓄積の増幅

【出典】“Enhancement of spin accumulation in ballistic transport regime”, Phys. Rev. B 92, 214402 (2015).

【概要】
平均自由行程がスピン拡散長よりも長い系におけるスピン伝導を記述するため、電子の移動方向に応じたポテンシャルという概念を導入し、拡張されたValet&Fertモデルを提案した。

【本文】
金属強磁性多層膜に対し膜面直方向に電流を流すと、強磁性体の磁化の相対角度に応じて電気抵抗が変化する。この巨大磁気抵抗効果はValet&Fert理論(Phys. Rev. B 48, 7099 (1993))によってよく説明できることが知られている。Valet&Fert理論ではスピン蓄積(スピン上向き電子と下向き電子の電気化学ポテンシャルの差)が拡散方程式に従うが、これはスピン伝導が拡散的、すなわち系の大きさが平均自由行程より十分厚く、またスピン緩和の距離スケールも平均自由行程より十分長い極限で正しい。鉄、コバルト、ニッケルもしくはそれら遷移金属の合金から成る金属強磁性体の平均自由行程はFermi波長と同程度であるから、通常、電子伝導を拡散的とみなすことができる。一方、トンネルバリアを介した系ではトンネルの際に運動量選択が起こるので界面近傍では拡散という描像が使えない。またGaMnAs/GaAs/(Al,Ga)As2次元電子ガス系でも平均自由行程がスピン拡散長より長いことが実験で確認されており(M. Oltscher et al., Phys. Rev. Lett. 113, 236602 (2014))、しかもこのような系では拡散理論で期待されるより大きなスピン蓄積が生じることが示されている。
アリゾナ大学のChenとZhangは運動量の符号に依存した電気化学ポテンシャルという概念を導入してバリスティック系の伝導を記述する方法を提案した。通常の拡散理論におけるスピン蓄積という概念は電子の運動が拡散的、すなわち散乱によっていろいろな方向に動いている場合に定義されるものであり、運動量には依存しない。これに対しChenとZhangは系を左向きに動く電子と右向きに動く電子が異なるポテンシャルを感じると仮定したのである(論文の式(6),(7))。この方法は完全にバリスティックな系の伝導を記述する際、伝導体を挟んで左右に大きな熱浴を想定し、各熱浴に電気化学ポテンシャルを想定する方法とよく似ている。ただしChenとZhangらは散乱の効果を取り入れるため準古典Boltzmann方程式から電気化学ポテンシャルの従う方程式を導いている。この方程式では平均自由行程が短い極限で左向き電子と右向き電子の電気化学ポテンシャルの差に依存した項が消えてしまいValet&Fert理論の拡散方程式に帰結する。一方、平均自由行程が長い極限ではこの差の項が顕著になり、通常の拡散方程式で期待されるより大きなスピン蓄積が生じることが示唆された。量子効果を取り込んだバリスティック理論の先行研究で説明できなかった大きなスピン蓄積の発現を今回のようなハイブリッドな理論で説明できるのは非常に興味深いことであり、今後の展開に期待が持てる。

(産総研 谷口知大)